「TKC経営指標」(BAST=P68~71)が定義する「優良企業」の要件を満たした企業はいかなる流儀を貫いているのか──。宝塚歌劇のグッズ販売を手がける株式会社アンは、経常利益の最大化を目指した戦略で、コロナ禍にも耐えうる安定した経営基盤を確立している。
梅雨らしくグレーがかった分厚い雲が空を覆う6月のある日。宝塚歌劇団の本拠地、宝塚大劇場の対岸に構える株式会社アンのオフィスで業績検討会が開かれた。
奥井力也社長
参加者はアンの奥井力也社長、角谷雅子税理士、メインバンクである池田泉州銀行千里中央支店の小川善弘さんと赤澤一樹さんの4人。全員が一堂に会すると早速、角谷税理士が口を開いた。
「今ご覧いただいているのが期首から現在までの業績の進捗です。売上高は前年の実績を上回っていますが、限界利益は若干目減りしています。固定費はほぼ例年どおりに推移していることから、このまま進むと今期の経常利益は〇〇万円程度で着地する見込みです」
全員が見つめる先には、同社の《365日変動損益計算書》が映し出されている。TKCの自計化システムに標準搭載されている業績管理ツールだ。これに沿って、角谷税理士が予算と実績値の比較、前年同月比、部門別業績の推移などを説明。それに補足する形で、奥井社長が適宜、自社の現状と今後の方向性を述べる。
「昨年と異なるのは売れ筋が新作にシフトしたこと。当社ではブルーレイ、DVD、CD、写真集、書籍など宝塚歌劇に関する商品を幅広くそろえていますが、いずれも新作は旧作と比べて原価率が高いため、新作が多く売れると限界利益率が低くなってしまいます。今期の目標経常利益を確保するためにも、残りの期間は無駄な固定費を削減しつつ、中古品の販売に重きを置くことで変動費の圧迫分をカバーする予定です」
2人の説明に真剣な表情で耳を傾けていた小川さんと赤澤さん。
「奥井社長は黒字経営への意識が高く、限界利益の拡大と固定費の削減に熱心に取り組んでおられる印象です。その結果、経常利益を毎期しっかりと確保しており、自己資本比率も高い水準を維持している。コロナ禍でも店舗の移転といった思い切った経営判断ができたのも、緻密な業績管理の賜物でしょう」と小川さんが口火を切ると、赤澤さんが続けて「業績の好不調にかかわらず、『TKCモニタリング情報サービス』(MIS=P59参照)で月次試算表を開示していただいているので、われわれもアンさんの業績を速やかに把握でき、実態に合った支援策を考えることができています」とコメント。その後、小川さんが話題に挙げた新店舗(宝塚アン日比谷店)の経営状態について議論を交わし、業績検討会は終了した。
BAST優良企業の定義 | |
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1 | 書面添付の実践 |
2 | 中小会計要領への準拠 |
3 | 限界利益額の2期連続増加 |
4 | 自己資本比率が30%以上 |
5 | 税引前当期純利益がプラス |
6 | TKC自計化システムでの月次決算の実施 |
このように角谷会計事務所が顧問に就いて以来、奥井社長は自社の経営状態を素早く把握し、意思決定を迅速に行うべく、『FX2』を活用した業績管理、月次決算に積極的に取り組んでいる。
その成果は顕著に表れており、「TKC経営指標」(BAST)における優良企業の定義(P30図表)をすべて充足。新型コロナの影響で来店客数が激減し、一時は1日の店舗売り上げがゼロという日が続いたものの、最新業績を都度確認し経常利益を高めるための打ち手を講じてきたこと、高い自己資本比率を維持し手元のキャッシュを厚くしていたこと、巣ごもり需要の波に乗って通販事業が大きく飛躍したことが重なり、コロナ危機からの脱却に成功した。
では、なぜ奥井社長はこれほどまでに緻密な計数管理を徹底するようになったのか。時は奥井社長が先代である父親から経営を引き継いだ2017年に戻る。
もともとはレンタルビデオ事業を営んでいたが、当時業績が低迷していたこと、JR・阪急宝塚駅から宝塚大劇場に伸びる「花のみち」に店舗を構えていたことを理由に、08年ごろに宝塚歌劇グッズの専門店に事業をシフト。その後、17年に経営のバトンを受け取った奥井社長は、早速ある課題に直面する。自社の経営状態を知る手段が一切なかったのである。
「業績を知ろうにも手元には前期までの決算書しかなく、現状を黒字で推移しているのか、赤字に陥っているのか、調子の良い店舗、悪い店舗など、まったく見当がつかない状態でした」(奥井社長)
宝塚アン花のみち店
店内にはタカラヅカファン垂涎の貴重なグッズがずらり
承継前の1年間、大阪産業創造館が主催する経営者塾(なにわあきんど塾)に参加していた奥井社長。中小企業経営に関する学びを進めるなかで特に実感したのが「管理会計の重要性」だった。不況や予測困難な事態に耐えうる〝強い〟会社をつくるためには、全社の業績はもちろん、店舗別、商品アイテム別の売上高や限界利益、経常利益を即座に掴つかみ、打ち手を素早く打つことが大切と痛感したのである。
この仕組みを設けるためにも、経営相談に真摯に応じてくれる税理士の存在が不可欠──。そう思い立った奥井社長はこのことを大阪産業創造館のスタッフに相談したところ、ある税理士の紹介を受けた。同施設の経営相談室で登録専門家を務める神佐真由美税理士(角谷会計事務所)である。
神佐税理士と面談した奥井社長は、月次巡回監査や経営計画策定など角谷会計事務所が提供する経営支援サービスに惹ひかれて顧問契約を締結。すぐさま『FX2』を導入すると、これまで見えてこなかった自社の実態をクリアに見通せるようになった。
「驚いたのが変動費の発生額に月ごとのばらつきがあったこと。限界利益率が高い月と低い月を比べたところ、最大で30~40%の差が生じていました」(奥井社長)
店内にはタカラヅカファン垂涎の貴重なグッズがずらり
自社ECサイトは奥井社長自ら作製
同社は実店舗を宝塚と東京に構えるほか、自社ECサイトや楽天市場、ヤフーショッピングなどオンラインでの販売も行っている。ECサイトごとに出店手数料が異なるほか、既述のとおり同じアイテムでも新品と中古品で原価率の差が大きいことから、限界利益率のばらつきを抑え、毎月の目標経常利益を確実に達成するための打ち手を実行した。
「新作の売れ行きに合わせて旧作の買い取りを調整する、紙媒体の広告をすべて止めてSNSを中心としたウェブでの情報発信にシフトするといった対策を打ちました。細かな業績管理を徹底するようになってから、いかにして限界利益、経常利益を高めるかという意識が格段に上がったように感じますし、この意識づけが黒字経営に結びついていると思います」(奥井社長)
22年4月、東京メトロ日比谷駅から徒歩2分の場所に新店舗をオープンした。目と鼻の先には、宝塚歌劇団の東京での拠点として知られる東京宝塚劇場がある。
もともとJR有楽町駅付近に店舗を構えていたが、コロナ禍の影響で劇場近くに空きテナントが発生。駅から劇場に向かう道中にあり、広さが旧店舗とほぼ同じだったことから、宝塚グッズを扱う同社にとって喉から手が出るほど魅力的な物件だったという。
しかし、一つだけ問題があった。旧店舗の賃貸契約がまだ残っており、移転した場合、数カ月は家賃が二重に発生してしまうのだ。家賃負担を考慮して移転を見送るべきか、家賃を多く負担してでも移転すべきか……。どちらが自社にとってプラスになるかを判断するべく、奥井社長は最新業績をもとに移転した場合としない場合の業績予想を作成。すると、意外な結果が表れた。奥井社長は言う。
左から池田泉州銀行の赤澤一樹氏、小川善弘氏。右端は角谷雅子顧問税理士
神佐真由美税理士(左)による月次巡回監査
「二つのプランを比べたところ、今の業績を維持できれば家賃を二重に負担してもしっかりと利益を残せることが判明しました。劇場近くに移るので来店客数の増加も見込めますし、神佐先生からも『それほど魅力的な物件ならば、旧店舗の家賃を負担してでも移転した方が良いと思います』と背中を押してもらったので、心置きなく移転を決断できましたね」
この読みは見事的中。アクセス至便な立地に加えて、「花のみち店」と同様に豊富な品ぞろえや〝宝塚愛〟にあふれる店づくりが評判を呼び、オープン直後から多くのファンが来店。店舗売り上げはコロナ前の水準に匹敵しているという。
かくしてコロナ危機を見事に乗り越えた奥井社長だが、まだまだ現状には満足していない。さらなる飛躍を遂げるため、新ビジネスの展開を予定しているようだ。
「具体的な内容は口外できません。企業秘密です(笑)」
と笑顔を見せる奥井社長。その力強い目つきから新事業に懸ける覚悟が伝わってきた。
(取材協力・角谷会計事務所/本誌・中井修平)